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Artist

GRAND KALLE ET L'AFRICAN JAZZ

Title

MERVEILLES DU PASSE VOL.1


grand kalle 1
Japanese Title

国内未発売

Date 1958-1960
Label AFRICAN/SONODISC CD 36503(FR)
CD Release 1992
Rating ★★★★☆
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Review

 1951年(53年とも)、“グラン・カレ”こと、ジョセフ・カバスルが、レオポルドヴィル(現キンシャサ)で結成したアフリカン・ジャズは、フランコ率いるO.K.ジャズとともに、コンゴ(当時はベルギー領コンゴ)のポピュラー・ミュージック確立期(俗に第2世代とよばれる)を代表するバンド。ドクトゥール・ニコ、ロシュロー、ドゥショー、ボンベンガなど、多くのスター・プレイヤーを輩出したことでも知られる。

 日本ではリンガラ音楽とよばれる“ルンバ・コンゴレーズ”は、その名のとおり、30年代にパリやニューヨークを発信源として、世界中にブームを巻き起こしたキューバ生まれの音楽ルンバ(アフリカ直系の民俗音楽ではなく、ソンの発展型としての)に由来している。30年代の終わりに、キンシャサのラジオ局が初の黒人むけの放送を開始するに及んで、ヨーロッパを介して流入したルンバは、コンゴ独自のポピュラー・ミュージックの形成に大きな影響を与えた。周知のとおり、キューバ音楽は、アフリカ的要素とヨーロッパ的要素との絶妙のブレンドから生まれた混血音楽である。それが、ヨーロッパを経由してアフリカへ里帰りしたというのは興味深い現象だ。しかも、よりによってキューバ音楽のなかでもアフロ色が薄められたルンバだったというのだからおもしろいではないか。

 大戦後になって、ラ・ソノーラ・マタンセーラのような、よりサウンドに厚みをもたせたリズミカルなキューバ音楽が紹介されるに及んで、ここに第2次ルンバ・ブームが起こる。これまた、ディープなアフロ志向の音楽というより、アフリカ的なるものがエキゾティシズムを掻き立てるための手段として用いられた偽アフロ志向の音楽だった。
 これはもちろん歴史的、地理的な制約よるものだったろうが、キューバ音楽はヨーロッパを経由したればこそ、アフリカにおいてかくも広汎に流布したのだと思う。推測だが、ラテン系音楽をはじめて耳にしたアフリカのひとたちは、それを先祖帰りした音楽とは考えてもみなかっただろう。むしろ、ヨーロッパからやって来たモダンでハイカラな音楽と映ったにちがいない。だから、レクォーナ・キューバン・ボーズのルンバは、ヨーロッパ人には、ヨーロッパ的要素が親しみやすさとして、アフリカ的要素がエキゾティシズムとして機能したが、アフリカのひとたちには、それが正反対に働いたといえないだろうか。

 ところで、1960年は“アフリカの年”とよばれ、アフリカの国が続々と独立をはたした年であった。パン・アフリカニズムがかつてない盛り上がりをみせるなかで、ラテンのリズムにのせたアフリカン・ジャズのモダンな音楽は、そんな時代のウキウキした気分を象徴していた。なかでも、「アフリカから世界へ」AFRICA MOKILI MOBIMBA「アンデパーンダンス・チャチャ-独立万歳-」INDEPENDANCE CHA-CHAは、かれらの代表曲として、いまも知らないひとはいないといわれるほど。この2曲は、ここに紹介するアルバムには入っておらず、かつて日本で独自編集された良質のコンピレーション『コンゴからザイールへ〜ザイール音楽の魅力を探る 1』(オルター・ポップ WCCD-31009, 1990)で聴くことができる。

 上の2曲とほぼ同時期にあたる、アフリカン・ジャズ最盛期の1958年から60年までの録音を集めた本盤は、61年と62年の録音を集めたVOL.2とともに、コンゴのポピュラー・ミュージックにおけるラテン音楽の浸透ぶりをうかがい知るうえで必須のアイテムである。
 ラテン音楽特有のクラベスの5つ打ちのリズム(シンキージョという)にのせて、“天使の声”といわれたカレのヴォーカルを中心に、タブ・レイこと、ロシュロー、ヴィッキー、ロジェなどのコーラス陣が極上のハーモニーを聴かせる。

 また、コンゴ第2世代を特徴づけるもう1つのメルクマールは、エレキ・ギターの導入である。ドクトゥール(博士)の称号が物語るように、ニコは14歳でアフリカン・ジャズに参加し、同時代のフランコとともに、現在のリンガラ・ギターの基礎をかたちづくった人物。ピアノなどの鍵盤楽器を使用することがまれであったルンバ・コンゴレーズにあって、アフリカの伝統楽器の旋律を生かした、かれの繊細でメロディアスなギターは欠かせない存在であった。

 かれらはラテン音楽をそのまま模倣していたのではなく、それらをベースにしながら自分たちの伝統音楽の要素と溶け込ませ、独自の音楽をつくり上げていった。それらはいずれも土臭さをまったく感じさせない優雅でメロウな音楽であったが、ひとによってはどれも同じように聞こえるかもしれない。しかし、VOL.1VOL.2の全38曲を何度か繰り返し聴いているうちに、このわずか5年足らずのあいだに、かれらの音楽が、ポピュラー・ミュージックとして、いかに進化し研ぎすまされていったかわかる。

 わたしにとって意外だったのは、サックス、トランペットといったホーン・セクションが加わったものが、この時期のアフリカン・ジャズの通常編成だと思っていたが、ギター、ベース、それにパーカッションのみからなる、キューバ音楽でいうところのセステートに近いシンプルな楽器編成での演奏が多いこと。ほかにも、キューバ風にミュート・トランペットを入れてみたり、テナー・サックスとクラリネットのユニゾンが加わるダンソーンまたはビギン風の曲があったりとヴァラエティも豊富だ。なんと、ピアノが入ったたいへん珍しい曲まである。こうした試行錯誤を繰り返しながら、あの極上のルンバ・コンゴレーズが紡ぎ出されていった。

 ラテン音楽好きのわたしにとってなによりもうれしいのは、アントニオ・マリア・ロメウ作の「リンダ・クバーナ」LINDA KUBANAなど、キューバ音楽のフレーズがところどころに散りばめてあったり、ニコのスティール・ギターがまぶしいメレンゲ風の曲があったり、シルキーなコーラスが美しいボレーロ風の曲があったりと、じっと耳を凝らしてみればいろんな宝石が発見できること。
 そして、とどめはトリオ・マタモロスの大名曲「とうもろこしを播く男」'EL QUE SIEMBRA SU MAIZ'のカヴァーだ。オリジナルよりかなりアップ・テンポな演奏で、ニコの躍動感あふれるリード・ギターに導かれて、リード・ヴォーカルのカレとコーラスが熱いコール・アンド・レスポンスを応酬する。本場のキューバ音楽にはない独特のグルーヴ感がこたえられない。

 こうして60年代初めには、コンゴ国内にとどまらず、他のアフリカ諸国のポピュラー・ミュージックにも大きな影響を与えたアフリカン・ジャズだったが、62年、ニコ、ロシュロー、ドゥショーといった主要メンバーが大量離脱するに及んで、グループは一気に衰退へと向かう。ライバルのフランコが、時代の流行をたくみにとりいれながら、みずからの音楽をすこしずつ進化させていったのとは対照的に、グラン・カレは最後までラテン音楽にこだわりつづけていたがために、いつしか時代から取り残されてしまった。その後、カレは活動拠点をヨーロッパへ移し、1983年2月にパリで亡くなった。


(5.4.02)



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by Tatsushi Tsukahara